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子どもを信じることができるのは、幼い時期の観察にあり!

更新日:2020年2月11日

子どもが生まれて3歳位までの時期は、その後の子どもとの関わり合いのための大切な「下地作り」だと感じています。

子どもがどんな性格なのか、どんなことをしていたら楽しそうなのか、他人から言われなくてもひとりで自発的にやっていることは何なのか、どんな状況になると集中するのか。

観察してデータ収集します。


そうするとおのずと「あー、こんな人なんだなー」とわかってくると思います。

持って生まれた気質、性格が分かり始めた時「あ、これ旦那にそっくり」とか「やだ、私に似てるなー」とか。あまり似て欲しくないことだったりすると、どっちのせいとか夫婦で責任の擦り合いになって「おじいちゃん似かもね」とか、ごまかして終わります。


この時期のデータ収集と分析は、大事に心の引き出しにしまっておきましょう。


子どもが自分の意思表示を言葉や行動でできるようになる時期になること、このデータが俄然効力を発揮してきます。



まず、子どもの気質性格がしっかりと把握できているので、

なんで、そうなの?とか、なぜできないの?と思うことが少ないです。

「あー、そうだよね、あんたの性格ならね。頑固だもんね。」

と、理解、納得できます。慌てる必要もありません。

だいたいパパママどちらかにあてはまります。



私の場合、子どもが元気過ぎてやんちゃで、どうして言うこと聞いてくれないの?と疲れはて、途方に暮れて父にぐちぐちと電話していたら、父が一言。


「あんたそっくりよ」

「・・・・・・・え、あたし?・・・うそ、そうなの?・・・」


自分の幼い頃。


そういえば、姉の幼稚園の運動会で保護者とのダンスに自分も参加させろとわがままを言い、制服の園児に混じって私服で踊っている証拠写真があります。


そういえば、家の屋根に登って遊ぶことが楽しく、瓦が割れるから降りなさい!と父から文句を言われたことが何度もありますが、どうしてそんなに怒鳴ってるのだろう?

まるで、叱られているという自覚がない私がいました。


あれ?これ、息子に怒っている時、彼自信に悪びれた様子は全くなく、怒りすぎて驚かれたことはあっても泣かれた記憶はほぼない。

私1人でイライラしてバカみたい!とあきらめたこと数知れず、です。


父の気持ちが今とてもよく理解できます。ごめんなさい。


親の立場からみた出来事と子どもから見た出来事はこんなにも違うのかと当時、愕然としたものです。子どもだった自分はそんなふうには感じていなかったからです。

ここでデータをアップデートしました。

子どもは大人と違う世界を生きているのかもしれません。



さて、息子たちもそれなりに反抗精神はありましたので、先生や他人からいろんな事を言われ、ご指導いただきました。なぜそうしたのかをわかってもらえず「はいはい、わかりました」とその場をやり過ごし「すいませんすいませんねー」と苦笑いして学校を後にすることもあったような。

間違ったことであれば正さなくてはいけませんが、考え方や生き方の違いに正解はないように思えて、それで子どもを責めたりはできませんでした。


データ収集から「私は子どもを理解してる」という自負があったので、なぜ彼がそうしたか気持ちがよくわかったのです。どちらが正しいとかではなく、立場の違いや状況でしかたないと思います。

所詮、先生は彼の本質がわかってないからと思ったら、あまり文句を言う気にもならなくなりました。

先生の立場や文句言ってきた人の立場もわかりましたしね。


この感覚は、今も進行中です笑


子どもを知ることは、自分を知ることでもあります。

子どもに何かあった時、親としてどんな場面でどんな行動を取るかのか、意外な自分を発見します。

幼い頃の子どもをしっかりと観察するということは、自分の子どもに自信を持てたのと同時に自分自身を見つめ直すこともにもなったとてもいい時間でした。


自分の子どもに自信を持つということは、自分自身を信じることでもあると思っています。








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