今回は『親になったら心がけるべき24のこと』の#11.大人の「よかれ」と思ってすることは、子どもには「無意味」について詳しく書きたいと思います。
親として子どもの将来を思うと、ついつい欲が出でしまうのは世の常です。
私も子どもが強くたくましく生きていけるよう、どうしてあげることが良いのか、いろいろと考えに考えました。
自分の身を守るという意味で泳ぎを学ばせる、英語にも小さい時から触れておけば耳慣れて良さそう。などと思い、幼稚園を選ぶ時には、水泳がありネイティブの先生から英語を教えてもらうことができる幼稚園を選びました。
子どもがまだ自分の意思をはっきりと持たない時期、親である私の判断がこの子の人生を左右してしまうかもしれないと思うと、大袈裟かもしれませんがとても慎重にも不安にもなったものです。
あの時こうしていればと後悔したくないので、水泳に関しては、兄弟でスイミングスクールにもせっせと通わせました。
さてさてその結果、彼らはどうなったのでしょうか。
英語への興味はほぼ高まりはしませんでした。最終的には大きくなってから必要に迫られて独学していましたが、特に私が想像した幼児期の経験はなくてもそんなに変わらない印象です。
(英語圏の環境に放り込めば話は別でしょうけどね。)
水泳に関して、小さい頃、初めてのことに大変慎重で神経質だった長男の方には、水に対する恐怖心、水泳に対しての苦手意識を植え付けてしまうことになりました。現在の彼は泳げなくはないのですが、未だに水があまり好きではないようです。当時、きっと水が怖かったのだと思います。いま思えば、楽しそうではなかったかもしれません。最初に私も一緒になって、プールで水遊び程度から始めれば少しは違っていたのかもしれませんね。
人にはそれぞれ、物事に出会う時期やタイミングというものがあります。「早く始めるといい」とか、「それでは遅すぎる」とかはない思います。大人は子どもの将来を思い、あれもこれもと与えがちですが、見せて興味を持てばやらせればいいし、合わなかったらすぐやめてもいいんじゃないでしょうか。
子どもはもともと好奇心のかたまりです。大人側が先回りしてレールを敷くような行動に出たり、自分の価値観を押し付けたりしなければ、子どもが自分の手で何か掴んで帰ってくるはずです。
大人は、「子どもがその手で掴んできたもの」を心良く興味深く眺め、あくまでサポート役に徹すれば良いのではないでしょうか。
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